フルトヴェングラーとの出会い

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こんにちは、
よしおです。

#昭和レトロというキーワードがトレンドと聴きました。
僕は1957年(昭和32年)生まれなので、ざくっと言って昭和で30年、平成で30年、令和で〇〇年、そして、いややめておこう、縁起でもない。

さて、どっぷり昭和で人間形成された僕の音楽事情を振り返ってみたいと思います。

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クラシック音楽が好きになった中学時代

1970年(昭和45年)は、大阪万博が開催された年です。

僕は、1970年4月から地元の公立中学に通いだしました。
僕は特に運動が得意ではありませんでしたが、剣道部に入部しました。

吹奏楽部もあったのですが、男子は運動部に入るのが、当時は当たり前みたいな雰囲気があったからです。
一応真面目に練習して、3年生の時には初段を取ることができました。

一方、クラシック音楽にも夢中になり、毎晩NHK-FMのクラシック音楽の番組を聴くようになりました。
いまはFMを聴くことはほとんどありませんが、当時はFMでクラシック音楽を流す番組はずっと多かったように思います。

そして中学1年の冬に、初めてクラシックのレコードを買いました。

中学生ですから小遣いの額もたかが知れています。
買ったのは17センチ盤で、フリッツ・ブッシュ指揮ウィーン交響楽団の演奏で、ハイドン交響曲第100番「軍隊」でした。

なぜこの曲のレコードを買ったのか全く憶えていませんが、この曲はいまでも大好きな曲です。

そして確か1年生の冬に初めて30センチLPレコードを購入しました。
富山市の繁華街に大きなレコードショップがあったのですが(多分いまもあると思います)そこで購入しました。

当時のLPレコードは、物価に比べても非常に高価で3,000円前後はしていました。

現代は、CDも安価になり、まさサブスクリプションなどの聴きたい放題のサービスもあるのですが、当時のLPレコードは、中学生にとって本当に高価なものでした。

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フルトヴェングラーとの出会い

初めて買ったLPは、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏で、ベートーヴェンの”運命”とチャイコフスキーの”悲愴”でした。

翌’71年5月に僕は、小遣いを貯めて2枚目のLPを購入しました。

それが、ヴィリヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲第3番”英雄”でした。

それは、ウラニア盤として有名になった戦時中の1944年12月のいわく付きの録音でした。
そのLPは聴いて初めて指揮者によって演奏がとても違うことを知りました。

フルトヴェングラーの演奏は僕は小学生の時聴いた、”英雄”とはまるで別の曲を聴くくらい違っていたのです。

それがフルトヴェングラーとの初めての出会いでした。

ベートーヴェン: 交響曲第3番「英雄」 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2トラック、38センチ、オープンリール・テープ復刻シリーズに、遂に”ウラニアのエロイカ”が登場します!

この「英雄」交響曲は、フルトヴェングラーの録音遺産の中でも特別に有名であることは、今さら説明不要でしょう。今回入手したテープは非常に明瞭でバランスが取れており、1950 年代のモノラル録音にも匹敵するクオリティです。たとえば、第1楽章の冒頭の和音を聴いただけでも、ホール内にきれいにこだまする様子が、これほど明確に再現された例はなかったと思われます。

また、今回は新事実(?)と思われることが発見されました。つまり、インターバルが全く途切れておらず、この演奏はマイクを前にした通し演奏ではないかと推測されることです(詳細は解説参照)。

さらに、決定盤とすべく、解説書には図版やLPジャケットなどをふんだんに盛り込みました(全12ページ)。(平林直哉)
キングインターナショナル

フルトヴェングラーとの出会い

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