フルトヴェングラー チャイコフスキー 悲愴

音楽
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こんにちは、
よしおです。

1938年、ドイツはオーストリアを併合、さらに、ミュンヘン会談によってチェコスロヴァキアの一部であるズデーテンのドイツ併合も決まった。

こうしてヒトラーの領土拡張の野心は現実のものとなっていき、世界大戦への序章が始まりました。

さらに、ドイツ国内では11月にユダヤ人が大量虐殺される「水晶の夜」事件が起きました。

このような年に、ヘルベルト・フォン・カラヤンは、1938年4月8日にベルリンフィルにデビューしました。

のちにフルトヴェングラー最大のライヴァルとなるカラヤンが、なんとフルトヴェングラーが首席を務めるベルリンフィルに客演したのです。

ただ、当時のフルトヴェングラーにとって、カラヤンになんの感情もなく、自分の息子ほどの22歳年下の青年音楽家をどうのこうのという判断基準は持っていませんでした。

なにせ、彼は、カラヤンの演奏は、聴いたことがなかったのです。

参考文献:「カラヤンとフルトヴェングラー」中川右介著、幻冬舎新書、「フルトヴェングラーの全名演名盤」宇野功芳著、講談社α文庫

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フルトヴェングラー チャイコフスキー 悲愴

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