こんにちは、
よしおです。
ヴィリヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)は、20世紀最高の指揮者の一人として語られることが多い。
今年で亡くなってから70年だが、いまだに録音のリマスター盤などが出てくるほどその人気は衰えないようです。
しかもその全盛期がナチス政権下だったこと。ヒトラーを嫌い憎しみながらもまたその圧力を感じながらも屈することなく演奏活動を続けて行ったことも人気のひとつなのかもしれない。
同時代に活躍し人気も高かったオランダのメンゲルベルクが、ナチスに迎合する姿勢で、戦後長らく音楽界から追放されるという憂き目を見たこと(最終的には演奏を許可されるが直前に死去)。そのため実力者だったにも関わらず人気がない、少なくとも私は聴く気がしない、とは違いフルトヴェングラーは別次元の人だった思います。
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フルトヴェングラー チャイコフスキー悲愴 録音の背景
1938年、ドイツはオーストリアを併合、さらに、ミュンヘン会談によってチェコスロヴァキアの一部であるズデーテンのドイツ併合も決まった。
こうしてヒトラーの領土拡張の野心は現実のものとなっていき、世界大戦への序章が始まりました。
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さらに、ドイツ国内では11月にユダヤ人が大量虐殺される「水晶の夜」事件が起きました。
このような年に、ヘルベルト・フォン・カラヤンは、1938年4月8日にベルリン・フィルにデビューしました。
のちにフルトヴェングラー最大のライヴァルとなるカラヤンが、なんとフルトヴェングラーが首席を務めるベルリンフィルに客演したのです。
同年の10月に録音されたフルトヴェングラーの”悲愴”
フルトヴェングラーの苦悩の始まりだったかもしれません。
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