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こんにちは、
よしおです。
友人が『終わった人』内館牧子著を読んだということで、感想をfacebookに挙げていました。
友人は、「身の丈は人それぞれ違う。定年後も働いて走り続けるなんて、人として貧しいと世間では言うが俺にとっては趣味を持たねばと習い事を課したり友達作りに精を出したりする方が貧しい人生で身の丈に合わない」という文章に共感したとコメントしています。
終わった人 感想
まだ会社員時代の4年ほど前に読み、映画も観ました。正直な感想は設定古くない?でした。
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作者は団塊の世代で想像するに10歳前後上の世代の設定かなと感じ、つまり現代の定年前後のおじさんを取り巻く現実は数年単位で変化し、10年も経てば化石化してるなんて思っちゃいました。
かと言って否定的には捉えていません。
小説も映画も楽しく読んで、観ました。
しかしなぜ古いと感じたか?それは定年は「生前葬」と投げかけている点です。
小説の出だしが、いきなり
「定年って生前葬だな。」
で始まります。
1975年で出た岡田誠三著「定年後」にも生前葬という表現がでてきます。
つまり40年後も変わっていない定年というイメージで読書を引き寄せるために作者は「生前葬」という言葉を使ったのではないか?と思うのです。
つまり作者は、現代でもそう思っている人が実は多いのではないか?という仮説の下この小説を書いたのではないと思います。
僕が所属するコミュニティーでは時代の先端を走るおじさんたちと日々接していると「古い」と思うのは当然かもしれないですね。
終わった人 古さも感じるが
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