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こんにちは、
よしおです。
ラジオから流れてきた山口百恵の『さようならの向こう側』。
僕も気持ちは一気に50年前に飛んでしまいました。
僕は、1957年(昭和32年)生まれなので、まさに思春期から社会人になるまでがまるまる70年代でした。ちょっとばかり、センチメンタルになって振り返ってみたいと思います。
山口百恵 さようならの向こう側 70年代
たまたま聴いていたTBSラジオから、山口百恵さんの『さようならの向こう側』が流れてきました。その歌を聞いた瞬間、僕の気持ちは70年代にワープしました。
1970年(昭和45年)僕は、中学生になりました。
地元の中学での3年間は、楽しいものでした。中学では剣道部に所属して3年生の時は副将をしていました。
そして1973年に地元では難関と言われていた国立高専に受かり3年間通いました。
国立高専は5年制でしたが、3年間だけ通いました。
そう僕は3年で中退して、大学を受けることにしたのです。
当時夢中になって読んでいた五木寛之の小説の影響でした。
幸い1年の浪人の末、早稲田大学に入学することが出来ました。
入学が1977年4月。友人と一緒に夜行列車で上京したのを憶えています。
そして1980年、大学3年の時、どこからか流れてきた山口百恵さんの『さようならの向こう側』を聴きました。そして僅か21歳にしての引退も聴きました。
嗚呼、僕の青春も終わったな、と感じたのはその時です。
僕は、山口百恵さんより1歳年上の22歳でした。
山口百恵 さようならの向こう側 思い出す人
山口百恵が、『としごろ』でデビューしたのが、1973年の春のこと。僕は高校1年生でしたが、彼女は僕の妹と同い年で1学年下の中学三年生。
桜田淳子、森昌子と一緒に中三トリオとして売り出されていました。
この頃の僕のアイドルは、麻丘めぐみや天地真理でした。少し年上のお姉さんが良かったのかもしれません。
当時、中三トリオの三人は、桜田淳子が一番輝いていて、森昌子は実力があり、山口百恵は、なんか暗い感じでしたが、意外と歌声に心を掴まれることがありました。
そして何と言っても、僕が片思いしていた女性に似ていたのです。
奥手で内気でそれなのに虚勢を張る僕は、全く告白することが出来ずに片思いで終わりました。
だから山口百恵のさようならの向こう側を聴くとつい思い出す人は、片思いの人の切ない思い出です。
最後に
ある程度の年齢を重ねると思い出は生きる糧だとわかってきました。
そう言えば、亡くなった母が、最後まで憶えて楽しそうに語っていたのが子供の頃から青春時代の思い出でした。
これからどれくらいの人生を歩むかわかりませんが、記憶の底に眠っている思い出を掘り返してこれからの糧にしていきたいと思います。