こんにちは、
よしおです。
1980年12月9日の午後、信じたくもないニュースが飛び込んできた。
ジョン・レノンが死んだというニュースだった。

僕は、当時大学4年生。22歳。
就職活動はしたけど、単位が取れず、留年が確定していた。
もう一年大学に行く。
実家の両親は黙っていた。
そんな先の見えない僕に衝撃が走った。
「ジョンが、死んだ?」
ジョン・レノンの命日 毎年やってくる
ジョン・レノンの命日は毎年やって来る。
ジョンの訃報を聞いたのは、アルバイト先の喫茶店だった。
僕が、大学に入った頃からお世話になっている先で、よくご飯を食べさせてもらっていた。
娘が3人いて、末っ子のK子と年が近く、親しかった。
有線放送でいやにジョンの曲が流れるので、嫌な予感がしていた。
K子も嫌ね、と言った。
それというのも3年前の夏、つまり1977年8月、僕は大学1年で、同じくその喫茶店でバイトをしていた。
ある日、エルビス・プレスリーの曲が、やたらと店の有線放送から流れ出した。
マスターが冗談ぽく、死んだんじゃない?と言った。
僕は、まさか?まだ若いでしょう?と答えた。

でも、マスターの冗談が当たった。
それから少し後、プレスリーの急死を知った。
そんな忌まわしい記憶があるので、嫌な予感がしていた。
残念ながら、的中した。しかも殺害されたということだった。
その日、どうやって下宿に戻ったか憶えていない。
ただ、下宿の四畳半で一人ラジカセで、ジョンの曲を聴き続けていた。
ジョン・レノンとの出会い
中学2年生の時、テレビか、ラジオか忘れたけど、凄い素敵な曲が僕を引き付けた。
それがジョン・レノンのイマジンだった。
中学2年だから1971年。

日本でリリースされたのが、1971年11月10日。
だから僕が聴いたのがその直後だと思う。
しばらく経って、級友の一人がイマジンのLPを買った、と言っていた。
僕はすぐ彼にいろいろ聞いた。
どんな曲が入っているのとか、どんなアルバムとか、しつこく聞いたと思う。
そうしたら彼が、そんなに言うんだったら、やるよ、と言い出した。
僕は驚いた。当時、LPレコードは、1枚3,000円前後もして、物価からしてもかなり高額で、中学生の小遣いでも簡単に変えるものではなかった。
でも、その級友の実家は裕福と聞いていた。
「今度、俺んちに来いよ」
というので、次の日曜日、自転車を飛ばして彼の家に行った。
当時、僕が通っていた中学は、田舎だったので校区がとても広く、僕の家と、彼の家とは4~5キロ離れていて、自転車でも30分近く掛かった。
彼の家に着いたら、おばあさんが出てきて、彼が外出していることを伝えた。
うそだったのだ。
それから中学3年になり、彼とはクラスも変わり、高校も別々だったので、
あの一件以来、彼とは言葉を交わしていない。
ジョン・レノンは永遠
ジョン・レノンは永遠だ。
僕は現在、ジョン・レノンのLPを数枚持っている。
でもLPをターンテーブルに置くことはまずない。
ストリーミング配信で彼の全ての作品を聴くことができるからだ。
でも、イマジンを求めて、必死で自転車のペダルを漕いでいた情熱はもうない。

もし、あの時、級友からイマジンのLPをもらっていたら人生は変わっていたのか?
それとも変わっていなかったのか?
僕は、通っていた5年生の国立高専を3年で中退して一浪して大学を目指した。
毎日のように図書館に通って、受験勉強をしていた。
そして勉強に疲れると視聴覚室に行って、ヘッドホーンでジョンの曲を聴いた。
選ぶアルバムは、いつもジョンの「ロックンロール」だった。
ジョンの原点を感じさせるアルバムだ。
アルバムに映る革ジャン姿のジョンがカッコいい。
最後に
ザ・ビートルズのメンバーでは、ジョンが一番好きだった。
高校生の頃から変わらない。
でも、さすがに一年中ジョンのことを思い、曲を聴いているわけではない。
他に聴きたい曲はたくさんるし、いまクラシックのブログ記事を毎日書いているので、
音楽を聴く90%以上は、クラシックだ。
でも、ジョン・レノンは、12月8日の命日が近づくと思いだしたように集中して聴いたりしている。
僕の中では、ジョン・レノンとボブ・デュランだけは特別なのだ。
この二人は永遠に理解できないかもしれない。
でも僕がこの世からいなくなるまで聴き続けたい。

